DRIFTERS(ドリフターズ)第5話で
与一と源義経の間に
何か因縁があるような描写がありましたけど、
史実では
この二人接点があったのでしょうか?
まずは歴史上の那須与一について
那須与一は
下野国(今の栃木県)の名門、
那須家の人間です。
那須家は遡れば
藤原道長に行きつくという
かなりの良い血筋。
与一はそんな家庭に生まれました。
島津家と那須家の違いを場面カットでお楽しみください。
島津万歳!源氏バンザイ!#drifters #ドリフターズ pic.twitter.com/DTPqdbSzNu— アニメDRIFTERS(ドリフターズ) (@DriftersAnime) November 4, 2016
ちなみに与一という名前は
与一が11男だったから付いた
名前だそうです。
11は10あまる1、
だから与一。
意味が分かりにくいわ。
さて与一が生まれた時代は
丁度公家の世から
武士の世に変わる転換点で、
武士の中でも
平家と源氏に分かれて
武力闘争をしていました。
もちろん武家である那須家も
どちらかに付かないといけません。
で、那須家はどうしてかというと
与一の兄弟11人のうち、
与一と与一のすぐ上の兄である為隆が
源氏へ。
そして残りの9人は全員平家側に付きます。
どうも那須家としては
平家側が勝つと思っていたようですね。
当然平家が勝ったら
与一と為隆は抹殺されたはず。
でも運が良いことに源平の戦いは
源氏の勝利に終わります。
そして与一も自慢の弓の腕で
源氏の勝利に貢献します。
それが有名な「扇の的」の話です。
屋島の戦い際中、
平家が船の上に的を用意、
源氏に矢で当ててみろと挑発します。
もし当たれば源氏の士気が上がり、
平家は(´・ω・`)。
もし失敗すれば平家の士気は上がり、
源氏は(´・ω・`)
これはプレッシャーが掛かります。
でも与一は難なく的に矢を当て
それに後押しされた源氏は
屋島の戦いで大勝利を収めるのです。
戦後、
与一は兄為隆を差し置いて
那須家の当主に就任。
当主になった与一は
平家に与して罪人となっていた兄たちに
領地を分け与え
復権できるように便宜を図ります。
エルフの弓の腕に嫉妬して
自分の弓の腕を見せびらかせた
DRIFTERSの与一とは大違いです。
しかし良い人すぎたのでしょうか。
与一はすぐに病没してしまい、
那須家は与一の兄の子が
つぐことになりました。
ただこの与一って
実在が怪しまれており、
創作上の人物では?という意見が
未だに強いようです。
まあね、
平家物語(軍記物)などには載っているけど、
肝心の吾妻鏡(正統な歴史書)に
名前が載っていませんからねぇ。
与一と義経の接点
ではここからが本題。
与一と義経って接点があったのでしょうか?
答えを先に書けば
接点はありました。
源平の戦いにおいて
源氏の総大将たる源頼朝は
鎌倉で地盤固めと
奥州藤原氏への備えを行い、
平家との戦いは
頼朝の弟である
範頼と義経が担当しました。
そして実際のところ
範頼はお飾りで
実際の戦いで差配したのが
義経だったと言われています。
当然屋島の戦いでも義経が指揮を取っており、
与一に扇の的を撃つように命じたのも
義経だったようです(正確には推薦された与一にそのまま命じただけみたいですけど)。
この結果、
扇の的を射落とした与一を
義経が気に入ったとしても
不思議ではありません。
だって屋島の戦い大勝利の立役者なのですから。
そしてこれが肝心なところですけど、
このあと、
与一の兄為隆は義経の不興を買い、
失脚したみたいなのです。
普通なら那須家の世継ぎは
源氏に味方した為隆と与一のうち
兄の為高になるはず。
でも義経のアシストで
結果的に与一が那須家の当主に就きます。
穿った見方をすれば
与一と義経の間に
何らかの裏取引があったと
思えなくもありません。
また伝承ですけど、
与一が11歳の頃、
父親の那須資隆と弓の稽古をしていたときに
近くの神社にお参りにきた義経と遭遇。
この時資隆が源氏の決起の際は
与一(と為隆)を源氏側に参戦させると
義経に約束したという話も。
あと上の方で
与一は早死したということを書きましたけど、
義経の下で戦った与一を
頼朝が危険人物を見なしており、
それを察知した与一は
死んだと見せかけて逃亡したという話もあります。
終わりに
史実のおいても
与一と義経って
結構接点があるようです。
今後アニメ版DRIFTERSの中で
この二人がどのように描かれるのか
ますますアニメの続きが楽しみです。